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これまで、「ねずさんのひとりごと」を幾度となくスレ立てしてきました。
しかし、切り貼りでは伝えられない事が多いソースです。
ですので興味ある方は、是非、ブックマークして頂きたいなと思います(・ω・)ノ
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画像(・ω・)ノ

昨日の記事で、大和言葉には、一音一音に意味があり、その組み合わせによって単語が生まれ、言葉ができているということを申し上げました。
実は、その意味の元とさせていただいたのがヲシテ文字です。
ヲシテは、いまの歴史学会は「江戸時代に創作された神代文字のひとつにすぎない」とされています。
理由は、日本の古代には母音が8つあったけれど、ヲシテには5母音しかない、あるいは7世紀に書かれた隋書倭国伝に
「無文字 唯刻木結繩 敬佛法」とされていることなどを根拠としているようです。
ところが一方には、古代から母音は5つであったと見る向きもあり、また隋書の「無文字」の記述も、
単に漢字が使われていなかったことを示しているにすぎないという説もあります。
もしかするといま私達が縄文土器のただの模様と考えているものは、実は文字なのかもしれない。
「日本に独自の文字が存在したならば、数百年かけて漢字を輸入し仮名を創作する必要はなかった」という説もあるようですが、
私はそうは思いません。
なぜなら漢字に訓読みがあり、ひらがなやカタカナを日本人は用いているからです。
すくなくとも、
漢字に訓読みがあるということは、漢字輸入以前に日本語がちゃんと成立していたからであるし、
それを表記するための五十音のカナ(神代文字)があったからと考えたほうが、どうみても合理的です。
それに、そもそも日本には西暦57年、つまり1世紀に金印が贈られているわけです。
印は、古今東西、文書に押すものです。
古墳などの大規模な構造物を建設する(大規模な土地の開墾をする)に際しても、
その計画や実施の示達には文書は必携で、漢字渡来とされる6世紀よりもはるかに古い時代に、
文書に押す金印が送られているという事実からして、漢字伝来以前に日本にオリジナルの文字文化があったと考えるのが自然なことです。
百歩譲って、ヲシテなどの神代文字が仮に6世紀以降の成立であったとしても、
記紀の研究と並んでむしろヲシテなどの神代文字から学ぶことができる太古の日本の思想等を謙虚に研究してみることは、とても大切なことであると思います。
むしろ一方的に「なかった」と決め付けて思考停止に陥ることのほうこそ、
学問的な態度とはいえないといえるのではないかと思います。
すくなくとも、大昔の日本人が、一音一音の大和言葉に込めた思いを学ぶことで、
私達はそこから大切な何かを学ぶことができると思えるのです。(大部分、省略)
縄文時代は、1万7000年ほど続いた、途方もない長い時代です。
古事記には、神々の逸話として描かれていますが、
考えてみれば戦国時代から現代まででさえ、たったの400年しか経っていないわけです。
1万7000年もの間、人々が動かず移動せず、文化さえも育まなかったと考えるほうがむしろ異常で、その長い期間を経由して、
私達日本人は、現代日本人に通じる、ひとつの文化を形成してきたわけです。
そしてその中に、ヲシテのように、非常に高度に進んだ文字体系があったとしても、
何もおかしくありません。
それだけに、私達はもっと謙虚に、歴史に向かわなければならないと思うのです。
◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ
ねずさんのひとりごと 8月2日付け
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